2014/03/10
オシムの言葉(増補改訂版) / 木村元彦
間もなく開催されるブラジルW杯に唯一初出場する一つの国がある。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナである。
元サッカー日本代表監督「イビチャ・オシム」の祖国だ。
2013.10.15、厳しい予選を勝ち抜いて初出場決めたその日、国中が夜明けまで祝った。
オシムはその歓喜の輪の中心にいた。
オシムがジェフユナイテッド市原・千葉を率いた後、日本代表監督に就任し、脳梗塞で倒れるまで日本のために必死に働いていたことはサッカーファンなら良く知っているけれど、その後どうしているのかを知る人は決して多くはないのではないか。また、ジェフの監督へ就任する前までの半生も。
ボスニアの首都、サラエボでサッカー選手として名を馳せた後、指導者となり旧ユーゴスラビアを90年のW杯イタリア大会でベスト8へ導くが、その後バルカン半島は大戦前と同じ暗い時代に入り、内戦が勃発、ユーゴスラビアは解体され、クロアチア、スロベニア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、後にはマケドニア、セルビア、モンテネグロ、コソボと分裂する。代表監督は辞任。
サラエボは民族間の激しい闘いが繰り広げられ、オシムの家族も巻き込まれる。妻とは2年以上会えない日が続いた。
そんな出来事を乗り越え、それぞれの国が独立し、オシムは日本での仕事を中断を余儀なくされた後、祖国に戻る。
そこで依頼を受けた仕事が政治で腐敗したボスニア・ヘルツェゴヴィナのサッカー協会の再建、「正常化委員会」の委員長だった。
民族間の対立の残る協会は一つに纏まらず国際試合への出場停止命令を受けていた。オシムは脳梗塞の麻痺の残る身体で国中を奔走する。それぞれの民族、政治団体の代表らへ直接へ会いに行き、対話で解決を試みる。国のため、選手のため、ファンのため尽力するその仕事ぶりに感嘆せざるを得ない。
ボスニアがW杯へ出場することがどういうことなのか、この本を読むとオシムの愛した我々日本人にも分かりやすい。日本代表と共に応援しようと思っている。
最後に最も考えさせられた「オシムの言葉」を。
「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しい質問をしているのか。ジェフを応援しているのか。そうでないのか。新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向へ導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」
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