2012/06/18

芥川龍之介 / 蜜柑



何度も読み返している小説の一つに芥川龍之介の「蜜柑」があります。
とりわけ、この素晴らしい「ちくま日本文学全集」の芥川龍之介を心斎橋の古本屋さんで買ってからは何度も読みました。


短いけれど、日常に誰もが感じた事のある疲れ、気付き、喜びを分かり易く書いたものです。
二十歳を過ぎた頃、難しいことを考える事はない、こういった小説を書きたい、書けばいいのだ、と僕は思ったのです。今も思うことがあります。
日常をこの蜜柑の様に一瞬でも暖かく彩ってくれる小説を届けたい、と。


最後のセンテンスが好きです。
「私はこの時始めて、云いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可解な、下等な、退屈な人生を僅かに忘れる事が出来たのである」


帰宅途中や、眠る前に、この小説の風景を思い浮かべます。少女の手を離れ、汽車の窓から子供たちの頭上へばらばらとこぼれ落ちていく日の色に染まった蜜柑を。
そして少し暖かい気持ちになります。
小説が僕の身体に血となって流れているのを感じます。
だから、本を読むことは辞められません。

2012/06/08

植本一子 / 働けECD

ラッパー「ECD」の奥様であり写真家、植本一子さんの育児(混沌)記です。
帯にはこう書かれています。
「月給16万5千、家賃11万、家族4人(と猫3匹)、生活してこれたのが不思議でしょうがない」
もともとECDの本が好きだったし、僕も子供が出来て簡単な家計簿を付けるようになったから手にとってみたのです。
そして僕もこの帯の文言に少し近い生活をしている。そしてそれを僕は恥ずかしい事だとは思っていない。そしてもちろんこの本にはそんな事に一言も触れていない。そんな本は面白くもなんともないですからね。

この本に収められた育児記は2010/2/11に始まり、2011/4/19に終わっています。各日付には家計簿が添えられています。電気代、食料、猫エサ、缶コーヒー、散髪代、ふりかけ、アイス、バス代、などなど日常が細かに刻まれていきます。やはりラッパーだけあって、レコード、CDの出費が凄まじい。僕も自慢では無いですがかなり音楽にはお金を掛けるほうです。しかしそれを生業にしている人とは比較にならない。

始まりはコーラ飲みすぎ、今日もレコード買ってる!など微笑ましい内容が多いのですが、日記が進むにつれ、一子さんの主に夫や家族、友人、周りの人々への気持ちがかなり赤裸々に綴られてくるようになります。ただの家計簿ではない。感謝、怒り、悲しみ、喜び、親への複雑な感情。そこには「生きている」という事実がはっきりと刻まれている。
そして僕は毎日どたばたと喜びと悲しみを背負ってこんな風に生きている家族が世界中にたくさんいるんだよな、と思いを馳せます。僕の隣に住む家族も、上に住む足音がバタバタうるさい家族もきっといろんな物を背負っているんだろうなと想像します。

やがて東京のど真ん中で3.11を迎え混沌に飲み込まれていく家族。そこではいかに「家族」や「友人」との絆が大切なのかに気付かされる。この部分は是非買って読んで頂きたいと思います。

あとがきのタイトルは「今日も誰かのために生きる」
お金に心を奪われて失ってしまったものはつまりこういうことなのだろうと思います。

ちなみに2009年にECDが書いた家族生活「ホームシック 生活(2~3人分)」(フィルムアート社)も素晴らしい本です。