2013/01/13

村上春樹 / 5月の海岸線


 初めて読んだ時よりも、数年後になって大きな意味や違った感触が浮かび上がってくる本がある。それも読書の喜びの一つだろう。

 僕の実家は神戸の西の端の海の近くにある。駅のホームに立つと時折風が潮の香りを運んでくる。子供の頃は夏休みになると実家へ帰り、歩いて海水浴へ向かった。綺麗な海では無かったけれど、子供の頃はそんなこと気にならなかった。海へ潜っては魚を探し、砂浜を歩いては貝殻を拾った。その砂浜は今はもう無い。海は埋め立てられ、巨大なショッピングセンターが建っている。海沿いを走る国道は週末になると渋滞になる。恐らく日本中でこういう風景が見られるのだろう。

 村上春樹の短篇集「カンガルー日和」に「5月の海岸線」という短編がある。(恐らく)極めて私的な小説で、主人公は10年ぶりに郷里の海のある街へ帰り、失われた海岸線を目の当たりにし、過去を回想する。海岸線は山を切り崩した砂で埋められ、その上には高層マンションが墓標のように立ち並んでいる。著者も神戸の側の海のある街の出身だ。村上さんはこの小説を80年代初頭に発表している。僕が初めて読んだのは確か90年代後半。その時は、「そうか、そういう風に時代が移り変わって、自分も大人になると過去を懐かしんだりするんだろうな」と思った程度だった。けれど、そんな簡単な問題ではなかった。

 今読んでみると恐ろしく暗い小説だ。そして著者の怒りが如実に表に出てきている。ただの回想録で終わらないのはある「死」が物語に深みを与えているからだろう。そして主人公は「予言」をする。その遠く押しやられた海岸線と墓標を眺め、「君たちはいつか崩れ去るだろう」と。

 「予言」は80年代を過ぎ、90年代を過ぎて、2010年を過ぎても生き続けていた。失ってしまったものは、自然だけではない。ここに書かれている「魂」のようなものも失ってしまう。

 

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