2012/03/31

新美南吉 / ごんぎつね

この本を見つけたとき、子供の頃の優しい記憶が鮮やかに甦った。この物語を僕は母親に読み聞かせて貰っていた。そう、帯に書いてある通り、「母から子へ」という形で。僕は恐らくまだ小学一年生か二年生だったと思う。妹はまだ幼稚園だ。今は駐車場に変わってしまった母の実家の二階で僕、母、妹と川の字に布団を並べ、眠りに付く前に母は「ごんぎつね」の大きな絵本を両手に持ってゆっくりと語ってくれた。一度きりではなかったと思う。二度、三度あったと思う。優しさがすれ違いによって悲劇に変わる物語。ひとりぼっちの悲しさ。悲しさを見つめて生まれる優しさ。世の中にはそういうことがあるんだ、という事を子供ながらに少しだけ理解した記憶がある。

大人になって今読んでみると、母が語ってくれた物語が記憶ではなく記録となって僕の目の前に映し出された。あの三人で並んだ夜の息遣いまで聞こえるようだった。子供の頃恐らく理解出来ていなかった言葉も今では理解出来るからこんなにも鮮やかな情景を写していた物語だったのかと驚いた。児童文学、と謳いながらも菜種、百舌鳥、すすき、萩、六地蔵、位牌、といった親に聞かなければ分からない単語が物語に深みを与えていると思う。

でも、一番驚いたのは母がこの本を読んで涙を流していたことだ。
子供の僕はこの物語の持つ悲しみと現実の持つ悲しみをまだ何も知らなかったから。
僕はただ物語りにでは無く、母親が泣いているのを見て悲しくなった。
あの絵本はどこへ行ったのだろう。
子へ物語を読み聞かせている親は今どのくらいいるのだろう。

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